音楽関係

再び歌い青春する60代の楽書き

再び歌い青春する60代の楽書き

 

初めに

音楽に興味を持った高校生時代からの私の音楽関連事項と人生の変換点になった楽書(落書)きです。

過去の事は思い出して書いていますので時系列でおかしな所も有ると思いますがご容赦下さい。

60才代編

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2019年 (70才)

今年最後の書き込み

2019年も後1週間で終わろうとしている、今年は31回歌いに行く事が出来た。来年の予定は、3月までに4回しか入ってない。最近自宅で歌えるので外に歌いに行くのが面倒になってきている。

レパートリーが少なく歌いに行っても1回おきくらいに同じ歌を歌っている。余程でないと新しい曲を覚えたいと思わないので全然増えない。

DTMも始めようとしているが録音が出来るようになった程度で曲の打ち込みまでは程遠い。

最近、「あいみょん」のマリーゴールドを偶然聞いて良い歌で歌いたいなと思っている。去年発売されているのだが、関心がなかったので全然気づかなかった。

自分の歌をユーチューブにアップしているので孫にたまには見てくれと話したら古い歌で知ってる曲がないから見ないとあっさり断られた。

その孫が以前「あいみょん」が良いと言っていた事を思い出した。ぜひ、マリーゴールドを覚えてユーチューブにアップして孫に見せたい。

70じじいが歌うマリーゴールドなんか聞きたくないというかどうか。
今、毎日聞いているがなかなか曲が覚えれない、いつ頃歌えるようになるか疑問だ。
来年からは、音楽日記70才代偏として新たにスタートいたします。

45年前のオリジナル

1972年頃に作ったオリジナルを友人が1999年に打ち込みでカラオケを作ってくれた。

曲のテンポが速く、ずっと歌えなかったが最近、曲を遅くするソフトを見つけ10%程度スピードを遅くしたら気持ちよく歌えた。

私には似合わない軽快なリズムにアレンジされている、「虚栄」という曲です、宜しければユーチューブで聞いてみて下さい。

2019年 (69才)

若い人の死

2019.11.17に松本ちえこさんが死去された。

彼女が歌っていた「思い出不足」の詞は昔、私のファンだった娘が書いた詞で今でも私の事を書いたのだと思っています。

最近、身近で若くて亡くなられる方が多い、松本ちえこさんも丁度私より10歳若い、人それぞれ違う長さの寿命を持って生まれて来ているんだなとつくづく思います。

わたしは2019.12.01で70歳を迎える事が出来ました。

まだまだこれからも歌っていきたいです。

年内歌い納め

2019.10月末から歌いに行くのをやめている、ブログを書いたり、ユーチューブにアップしたりとやりたい事が有り次回唄うのは2020.1.5になる。

DTM用機材準備完了

注文していたオーディオインターフェースとMIDIが届いた、これで準備は整ったが、DAWソフトがAbleton Live 10 LiteとCubase LE AI Elements 10の2種類付属してきたので、それぞれをインストールしてみた。

Ableton Live 10はすんなりインストール出来たが、Cubase LE AI Elements 10は3度ほどやり直しインストールに3時間も費やした。それぞれ立ち上げてみたが画面を見てもさっぱりわからない。本当に使える様になるのか不安になってきました。

キーボードはサイズを確認せずに注文したので、大き過ぎる気が。

 STEINBERG / UR-RT2 M-Audio USB MIDI 49鍵 SONY MDR-CD900ST ベリンガー B-2PRO
 Ableton Live 10  Cubase LE AI  シュアーSM58

友人からのCDでDTMを始める事に

約20日くらい前に、昔のバンド仲間(冥土IN邪蛮)の嘉納君から1枚のCDが届きました。宅録で作ったそうです。

彼は昔からオリジナル曲を作っていていつかは自分のLPを作るのが夢だったそうです。

長い間のバックミュージシャンの音楽人生に区切りをつけた今、自分の音楽の夢を叶える為にこのCDを作ったそうです。

48年くらい前に知り合って一緒にバンドを始めました。知り合う前は彼はユニットを組んでいて歌っていたそうですが、私とバンドをやる様になり、ボーカルは私に任せて、演奏専門になりました。

それからは歌う事はなかったとの事で、今回のCDも誰かに歌わせ様とも考えたらしですが、結局は自分で歌う事にしたとの事。

私はCDで彼の声をを聞いてすごく渋くて、私には出せない味が有る羨ましい歌声だと感じました。

またアレンジや楽器演奏は元プロなので素晴らしいものに仕上がっています。(過去記事にも書いていますが、嘉納君は、元イルカや海援隊のサポートメンバーとして活躍していました。)

ボーカルを奥さんと二人で唄った、ほのぼのとした感じの曲、世の中を風刺した曲、故郷を思った曲とバラエティに富んでいます。

その中の「夢を返して下さい」という曲は1970年の中津川フォークジャンボリーのメインステージで唄った曲だそうです。


CDを受け取ったのが、中津川フォークジャンボリーから50年の2019.09.01に開催される記念イベントの「2019椛の湖フォークジャンボリー」の一週間ほど前で、私はこのイベントのサブステージですが、歌える事になっていたので、このタイミングでCDが届いたのでこれは唄わなくちゃと思いました。

この曲は嘉納君から昔もらった歌集に載ってて多少知っていましたので、この曲を歌おうと練習していったのですが、どうしても当日、歌詞が思い出せなくなり、残念でしたが急遽、違う歌を唄いました。(なるべく歌詞カードを見ないで唄う様にしているので歌詞カードは持参してませんでした)

私は、いつも一人で弾き語りをしているので、伴奏が有って歌うのは羨ましく思い、自分もコンピュータで楽曲が出来ないかなと思う様になりました。

【70才目前に、DTMに挑戦しよう】と思いました。

早々、何もわからず売れ筋ランキングだけを調べ、必要なオーディオインターフェースとMIDIキーボードを注文しました。(週末には届きます)

STEINBERG / UR-RT2 M-Audio USB MIDIキーボード 49鍵

使いこなせるようになるか疑問ですが考える前に行動の癖がいつも出ます。

追々、ここでその後の状況を報告していきたいと思います。

椛の湖(中津川)フォークジャンボリー

1969年に中津川の椛の湖で全日本フォークジャンボリーが行われました。今年が丁度50周年目という事で2019椛の湖フォークジャンボリーが開催されました。

過去記事で書いてますが、私は1971年の第3回に見学に行きそれがきっかけでフォークソングを始めたものですから、私のフォークソングの原点の場所です。

48年振りに行った懐かしの場所のサブステージでは有りますが今回唄わせて頂きまして感無量の一日を過ごす事が出来ました。(動画)

吉幾三さんサイン

2019.08.30突然、吉幾三さんの直筆サインが自宅に届きました。演歌が好きで吉幾三さんの「津軽平野」「酔歌」をよく唄わせて頂いています、また吉さんの生まれた処は、私が単身赴任をしていた今の青森県五所川原市です。そんな事も有り好きな歌手です。

その五所川原市に「吉幾三コレクションミュージアム」という所が有って、吉さんのステージ衣装、作曲に使ったギター等、吉さんに関係ある物が多く展示して有ります。

そこが新しく場所を変えてオープンするにあたり、吉さんの「立佞武多」の歌碑をクラウドファンティングで作ると募集が有り、それにわずかで有りますが参加させて頂きました。

そのお礼にと送られてきました。予定になかったサプライズで大変うれしかったです。

風西鶴 川浪さんとの出会い

2019.02月に風西鶴のCDを購入してリーダーの川浪さんにFBで友達になって頂きました。7月に五所川原に出張の時、五所川原の音楽仲間「雄平」さんと会う事にしましたら、気を使い川浪さんも誘ってくれまして、3人で食事をし、その後、歌えるお店に移動し、大好きな「Dear Life」をご本人の演奏で聞かせて頂きました。私もその後で唄わせて頂きました。川浪さんも途中からギターで参加して頂いて楽しい時間を過ごす事が出来ました。

西三河フォークジャンボリー

毎年開催されている西三河フォークジャンボリー(2019.4.28)に参加してきました。このコンサートも浜名湖同様に音源審査が有り、過去3度程落選しています。こちらも浜名湖フォークジャンボリ―同様の曲で応募したら合格できました。

選曲はカバーで

友部正人  「一本道」

いとうたかお  「あの日僕らは」

ソロは12分の演奏時間で2曲とMCもゆったりでき楽しく歌わせて頂きました。

来年は10周年記念で2日間の開催予定です、是非出演させて頂けるような選曲をしたいと思います。

FMごしょがわら出演

風西鶴の川浪さんとFBで繋がり川浪さんの友達に昔有った事が有る人を見つけメッセジャーで連絡を取り、4月の初めに五所川原出張の時会う事にしました。20年振りくらいで、今では介護施設を経営し又FMごしょがわらで雄平としてパーソナリティもやってるとの事。

以前に五所川原のライブハウスで作ったCDを雄平さんに渡した事が有り、ラジオで使っても良いかと聞かれ、どうぞと返事しました。せいぜい1~2曲ぐらい使うのかなと思っていましたら1時間番組で私の事を取り上げてもらい5曲も流してもらいました。

直接放送は聞けないので、録音をもらいましたが、カバーした英語の唄を聞いて、よくあの発音でと恥ずかしくなりました。

K-YAIRI G-1F購入

ライブでは主にGIBSON LG-2を使っているが、屋外で使う場合はかなり気を使います。もっと気楽に使える同じ様なギターが無いかと思い、ヤフオクを見ていたらYAIRIのG-1Fが目に入り落札しました。LG-2のコピー版だと思えるほどそっくりで気に入りました。

これもピックアップが付いて無く、自分でアンダーサドルピックアップを取り付けました。

YAIRI G-1F GIBSON LG-2

風西鶴(ふうさいかく)CD

2月15日に青森に行きいつも宿泊するホテルのロビーで1枚のCDを見つけました「2013年NHK熱血おやじバトル」グランプリ受賞の青森県五所川原市のバンド風西鶴のCDでした。帰ってから聞いてグランプリ受賞曲の「Dear Life」がすごく気に入り車で毎日聞き続けました。

早速このバンドリーダーの川浪 重治さんにフェイスブックで申請して友達になって頂きました。

やがて歌いたいと思い「Dear Life」をコピーする事にしまして、2か月後にはもう唄ってました。良い曲と出会えたと喜んでいます。

津軽三味線再購入

2018年の年末頃に津軽三味線を弾いている夢を見ました、なぜか三味線の音が恋しくなりまた欲しくなりました。

もう弾かないと決めたのに、以前手放す時に妻に「絶対後悔するから」と止められたけど強引に手放した経緯が有ります。も一度欲しいと言ったらなんと言われるか。

夕食中の妻の機嫌が良さそうな時に話しました、「それみゃあ、あんだけ言ったのに」(東濃弁)と言われました、でも反対はしなくてお金も出してくれたる事になりました。感謝感謝です。

この時、一年も過ぎないうちに決断した事が変わる、自分自身がいい加減だなと思いました。

とにかく音が出れば良いのでヤフオクで探して購入し1/7には届きました、でもヤフオクに出ている中古の三味線は皮が破れているのが多く、ここから皮張に出して結局音を出せたのは1/中旬でした。

余談ですが、津軽三味線の皮は犬の皮です。普通の三味線は猫ですが叩く奏法の津軽三味線は猫の皮ではもたないのです。張替はかなり高く両面ですと4~5万円くらいします。

一度、苦い経験が有りまして自宅に帰る時、購入したばかりの三味線を分解してケースに入れ飛行機で青森空港からセントレアまで運び自宅に着いて開けたら皮が破れていました。原因は、胴の部分が密閉状態になり飛行機内で気圧により破れたのです。それ以降は胴に入っている下竿と言うんですが、それを抜いた状態で胴が密閉されない様にして運ぶようにしました。

もう一つ余談ですが、飛行機で三味線は手荷物で持って乗るのですが、手荷物検査場で、三味線の撥が殆ど引っかかります。撥を重くする為に、撥の中に鉛が入っているのですが、これがX線で見るとピストルの弾の様に見えるのです。ですから検査場では先に撥ケースを出して単体で検査を受ける様にしていました。

2018年 (68才)

浜名湖フォークジャンボリー

年1回開催される、浜名湖フォークジャンボリー(2018.09.22)に初めて、参加させていただきました。エントリーするには音源審査があり、過去2回ほどはメジャーなフォークソングのコピーで応募していましたが落選していました。

今回、マイナーな曲でエントリーしたら、なんと合格、すごく嬉しかったです。

選曲はカバーで

友部正人    「一本道」

いとうたかお 「あの日僕らは」

ソロは8分の演奏時間で2曲はフル演奏出来なく少し割愛して演奏しました。

広い会場で緊張しましたが気持ち良く歌う事が出来ました。

ちなみに2019年は落選しています。

初めてのコラボ

ソロでの弾き語りが多く、コラボすることは余程ないのですが、この曲だけは機会が有れば是非お願いしたいと思ってました。

フォークをメインで唄うのですが、吉幾三さんの演歌が好きでたまに取り入れて唄っています。その中で「醉歌」と言う曲は間奏でサックスが入ります。このサックスを誰かにお願いしたいなとずっと思ってました。

この年の2月、昭和横丁でサックス奏者の羽木ユキさんと共演させて頂きました。これはチャンスと思っていましたら、再度7月に昭和横丁でご一緒する事が決まりましたので、連絡を取り是非とコラボをお願いしましたら、快く引き受けて頂きました。そこで7月の昭和横丁でコラボさせて頂きました。

更に8月にも柳フェスでご一緒出来、再度「醉歌」を歌う事が出来ました。ソロの時は間奏をハーモニカで入れるのですが、やはりプロのサックス奏者、全然曲の盛り上がりが違いました。記念に残るコラボでした。

2017年 (67才)

「いとうたかお」さん

7月に中津川市のマジョリカバンブーで。佐藤Gwan博,井上利成、いとうたかお(ペケ)、佐久間順平さんによる四天王ライブが有りました。

私は20代前半にペケさんを自分の車で岐阜駅まで迎えにいきライブ会場までお連れした事が有ります。打ち上げで其の事を話しましたが当然記憶にはないと、また迎えに行った時、プロのミュージシャンの方に名前を尋ねました、大変失礼な事をしたとずっと思ってました。その事を話しお詫びをしたら、ペケさんは、まだ駆け出しだったから名前を聞かれても当然だと気さくに答えて下さいました。これを期にペケさんのフアンになり「あの日僕らは」を唄わせて頂くようになりました。

打ち上げでは楽しいお酒を飲む事が出来ました。

津軽三味線との決別

2月に父親が亡くなり、49日過ぎた頃から遺品の整理を始めました、しかし、あまりにも物が多く処分するにも多くの手間と費用が発生しました。同じ様な事を、自分の子供にはさせたくないと思い断捨離をしようと思い立ちました。
断捨離とは、ただ片づける事だと思っていましたが、物への執着を捨てることが最大のコンセプトであると知りました。
そこで、まずは手始めに、自分の中で執着は有るが、最近使用していない物を処分する事にしました。
その一つで、最近弾き語りの機会が多くなり津軽三味線は殆ど弾くことが無くなった。

三味線を始めて津軽じょんから節の曲弾きが出来る様になりたいと思いましたが、この曲弾きの一番の見せ所は左手薬指で3の糸を早くはじく演奏ですが、私の薬指は10年も練習しても未だに早く動かない。もう三味線は諦めよう、またギターは古くなる程、値打ちが出るが三味線は古くなる程繋ぎがゆるんで価値が下がる、早く手放した方が良いと思い切りました。

初Salt & Pepper

岐阜県各務ヶ原市に有るSalt & Pepper、フェイスブックで知り、初エントリーしました。ステージ、音響が素晴らしい処です。

3曲歌いましたが、1曲目を大きな声で唄ったので、声がかすれて高音が出なくなり、しわがれた声で後2曲歌う事になりました。(こんな風に声が出なくなったのは初めてです)

加川良さんの影響を受けましたが、一度も良さんの歌は歌った事なく、良さんが亡くなって11日目、追悼を込めて良さんの「明日天気になれ」を唄いました。

加川良さん逝去

ライブで再会してから5ヶ月後2017年4月5日の事でしたた。フェイスブックで知りました。ショックが大きかったです。

2016年加川良さんとの再会でも書いたのですが私の人生を大きく変えてくれた人です。

良さん安らかな眠りを。
今年は、私の人生に大きく影響した父親、更に良さんも亡くなり、なんか寂しい年になりそうです。

初めての柳フェス

初めて岐阜市の柳ケ瀬で行われる「柳フェス」に参加させてもらいました。

**音楽で柳ヶ瀬を盛り上げよう!/音楽の輪を広げよう!を趣旨に 岐阜市柳ヶ瀬あい愛ステーションにて月に1回 シンガーソングライターの「たかいやすお」さん主催でボランティアライブ(非営利活動)として開催されています。**

FBで知りこのオープンマイクに出させて頂くようになりました。30分の持ち時間があり、音響も良いので出来るだけ参加させて頂いています。

岐阜市は私が生まれてから22歳頃まで育った処なので懐かしさがあります。でもこの次の朝に父親が亡くなりました。もう一日早ければ初の「柳フェス」に参加出来ませんでした。

父親も歌が好きだったから一日待ってくれたかも。小さい頃父親が岐阜市民会館で唄うのを聞きに行った事を思い出しました。

2016年 (66才)

フェイスブック開始

2016年末にフェイスブックを開始しました、これによりライブやオープンマイク情報が多く入るようになり、2017年30回、2018年41回、2019年8月末で22回と格段に唄える機会も増え、音楽でのフェイスブック友達が増えました。(2014.2015年で歌ったのはそれぞれ2~3回程度でした)

もっと早くから始めるべきだったと思いました。

加川良さんとの再会

妹から、良さんのライブが中津川で有ると誘いを受け聞きに行く事にしました。

45年振りくらいにお会いする、昔のイメージはなく楽しいライブでした。打ち上げに参加して昔、「良さんの教訓1を聞いて会社を辞めました」と話したらあきれられて、なぜ辞めたんだと聞かれ「フォーク歌手になりたかった」と言ったら冗談半分でバカかと言われました。

この時、あの唄の歌詞「命は一つ人生は一回」は嘘だよと「人生は何度でもやり直せるから」といわれた、若い頃の私なら「えっ」と聞き直したろうが、年を重ねた私は妙に納得できました。

とにかく良さんの歌がきっかけで会社を辞めて今の楽しい人生を送れているのだから良さんには感謝です。

やがて楽しい打ち上げも終わり、なぜか私が良さんをホテルまで送る事になりました。あんなに昔あこがれた人が私の車に乗っている、すごく嬉しかったです。ただ気がかりが車を降りてホテルまで歩いていく良さんの背中が寂しそうに見えた事です。

2015年 (65才)

カラオケボックス通い

2015年春頃に会社の同僚の父親の葬儀が有り参列しました。その人は演歌が好きだったの事で、BGMがキーボードの生演奏で演歌が流れていました。

この時、流れていたのは北島三郎の「北の漁場」でした、この時のメロディーが心にしみてそれから毎週末カラオケボックスに行き、ヒトカラで4時間歌う日々が続いた。(北の漁場 てつみ弾き語り

ある時自宅で唄えたならいいな~思う様になり、そうだカラオケボックス(防音室)を作ろうと思いました。11月頃から製作に取り掛かり、年末には完成し、自宅でカラオケも弾き語りも三味線の練習も出来る様になりました。

防音室は早く作れば良かったと後悔しています。(66才から使用ですから、後何年も使えない)

GIBSON LG-2との出会い

立って歌う場合、背が低いせいかYAIRIのドレッドノートタイプのギターだとすごくギターが大きく見えてしまう、そこで小振りのギターが欲しいなと思いネットで散策していら1957年製のGIBSON LG-2が目に入いりました。一目で欲しいなと思いましたが、ネットでのギターの購入で不安がいっぱい。とりあえず販売先に問い合わせたら応対も良く信用も出来そうで、ギターの程度も良いとの事で購入に及びました。妻には3万円だったと言ってあります。

個人的にマーティンよりGIBSON が好きです。

手元に届いた時は嬉しかったです、ケースはビンテージ感満載の紙製、さすがに持ち運びには使用出来ないと思い、別でハードケースを購入しました。ハードケースの購入もネットからで、もしギターが入らなかったらどうしようと悩みましたがぴったり収まるLG様に作られたケースが市販さえれてました。(BOBLEN BL-LG)

このケースにGIBSONのロゴを型紙を切ってスプレーでロゴを入れ、かっこ良くなりました。

でも最近はハードケースは重いのでセミハードケースばかり使ってます。

このギターには後にアンダーサドルのピックアップを自分で取り付けました。



2013年 (63才)

ライブ活動開始

2010年から、多治見の自宅での生活が始まり、ギターや三味線を弾く機会も減ってきました。

2013の春頃、インターネットで高蔵寺フォークジャンボリーが10月に開催されると有ったので応募しましたら参加出来る様になりました。久しぶりに人前で3曲歌いかなり緊張した事を記憶しています。

その時の司会がはーさん(河原 龍夫さん)で、昔ヤマハのムックでLPレコードを出して頂いた時の「泪」のメンバーですごく懐かしかったです。

それから年1回有り2015年2017年と出させてもらいました。

2012年 (62才)

ヤイリギター購入

以前からヤフオクにはまり、色んな物を売っていてギターもハワイで買ったオベーション1本になっていました。

もう一本欲しいなと思いヤイリギターの工場を覗く事にしました。(自宅から車で15分くらいです。)

自分好みのギターが作れるとの事ですが、あまりギターに関して詳しくないのでオーダー品はやめてカスタム(現行モデルをもとに好きな様に細部を変えれる)で作る事にしました。

基本モデルはYW-1000にして、0フレットを付けるのとK-YAIRIのロゴを海外向けのロゴのアルバレズにしてもらい注文しました。出来上がり迄に6ヶ月くらいかかったと思います。

今ある3本の中でやはり一番いい音がします。

    0フレット⇒世界に1本 K.Yairiの0フレット付き YW-1000
品名  YW-1000カスタム
TOP Solid Spruce
BACK/SIDE Jacaranda Laminate
NECK Mahogany
FINGER BOARD Ebony
BRIDGE Ebony
ナット幅(mm) 645
全長(mm) 1020
ボディ巾(mm) 400

最後に

今後も新しい出来事、思い出した事を追記していくつもりです。興味がお有りでしたら引き続き宜しくお願い致します。

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